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2005年のNHKは義経です。
平治元年(1159年)夏、源義朝(清和天皇から九代目)の
八男として洛北・紫竹の地で産声を上げたのが義経です。
幼名を牛若丸と言う。
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五条大橋(弁慶・義経の像) もう一人の主人公・弁慶との出会いを、このコーナーの初めに書く事に しました。 初めての出会いは“五条大橋の上”とされているが、明治四十四年発表 の文部省唱歌「牛若丸」からで、それ以前は五条天神社という事です。 このページでは、五条大橋としておきます。 ただし、今の五条大橋は大閣秀吉が大仏殿を建立した時に架けられたと 云い、一本上流の松原橋の所にあったのが、五条大橋という事です。 |
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五条天神社 京に戻った弁慶は 太刀千本奪い取り の願を、五条天神にかける。西洞院松原にあり厄除けの神としても知られています。牛若丸と弁慶最初の出会いの場とされている |
神泉苑 二条城の南にある 神泉苑で、白拍子の 静と出合ったとされ 静がここで雨乞いの 舞を奉納し、直後に 雨が降ったと云う 伝説があります。 |
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誕生井/胞衣塚(えなずか) 紫竹牛若町の1枚の畑の中に2つの碑が あります。 左の写真が誕生井、右が胞衣塚です。 道路を隔てた向かい角の家が地主さん です。無断で入らぬように・・・。 |
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常徳寺 牛若丸の安産を 祈願して母・常磐が 安置した ”常磐地蔵”があります。 |
光念寺 ”常磐腹帯地蔵” ”産湯井跡碑” があるが檀家寺の為 日曜・祝日は、法事等 があり拝観が出来ない。 |
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鞍馬ケーブル 所要時間は、1〜2分ですが つづら折りを歩いて登ると思うと利用した方がいいかもしれませんね。 毎時10分・25分・40分・55分 料金・100円 利用者の多い時期は、随時運行します。 |
![]() 息継ぎの井 |
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鞍馬寺 770年鑑真和上の高弟、鑑禎上人が毘沙門天を安置したのが この寺の起こりですが、平清盛が出した助命の条件を守る為 七歳の牛若丸を母・常磐が鞍馬の東光坊阿闍梨蓮忍に預け出家させた。 |
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![]() 木の根道 |
鞍馬山 標高569M。 京都の北に位置し杉の巨木に覆われ てる。山門から鞍馬寺の本殿までを “つづら折り”と言い 清少納言が「枕草子」で “近くて遠きもの鞍馬のつづら折り”と 書いている。本殿からさらに奥院までは 木の根道と言い義経の剣の修行の場 と伝えています。 |
![]() 供養塔(つづら折りにある) |
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![]() 義経堂 平泉で討たれた義経の魂が 京に戻り、遮那王尊として 祀られたと言う。 |
![]() 僧正が谷 ![]() 義経が天狗と剣術の修行をしたところと伝える |
![]() 背くらべ石 高さ1,2M程の石で奥州に 旅立つ前に背くらべをしたと 伝わる。 |
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弁慶石 ちょっと見つけにくいかも知れませんが、三条麩屋町の油取り紙で 有名な”ようじや”の東隣にあります。 弁慶が五条大橋から投げたと云われる石です。 弁慶の死後に平泉の高館に移されたが ある日、石が「三条京極にゆがむ」と、うなった為 この地に戻されたと云われる。 ちなみに、弁慶は、母の胎内に十八ヵ月いたと云い、生まれた時はすでに 二、三歳に見え、髪は肩まで伸び、歯もしっかり生えていたと云います。 |
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子安の塔(清水寺) 清水寺は、弁慶が太刀千本奪取の為、再度牛若丸に挑むも敗れて 臣従の誓いを結んだところとされています。また、常磐が、深く信仰して いた清水寺・本尊の十一面千手観音(西国33所・16番札所)や 大和の宇陀郡へ逃避する時に参った、子安観音があります。 子安観音は、子安の塔(1633)の本尊で、女人の安産祈願の信仰の 観音様です。清水寺の舞台から真正面に見える三重塔がそうです。 |
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往生極楽院(三千院) 比叡山を離れた弁慶が、世を捨ててひたすら念仏する集団の住む 大原別所と呼ばれる一画に、無人の庵を見つけて住み着いた。 大原三千院の往生極楽院は、大原別所の名残とされています。 また、往生極楽院は1148年の建立で 奥州の藤原清衡はここを見て、平泉の中尊寺の金色堂を造営した と伝えられています。 |
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六波羅密寺 元来、951年京の都に悪疫が流行した時に、市聖と呼ばれた空也上人が、 悪疫退散の祈念を込めて十一面観音像を刻み念仏を唱えて遂に病魔を 鎮めました。その十一面観音像を安置する為に寺を創建したと伝えます。 平安時代末期には、平忠盛(清盛の父)が、当寺内の塔頭に止めて清盛と その息子重盛に至り、平家一門の邸館と化し、その数5,200余りに及んだと云う。 宝物館には、平清盛僧形座像(重文)があります。 |
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| 三十三間堂 正しくは、蓮華王院といい天台宗のお寺です。 後白河上皇が、持病の頭痛の退散祈願を込めて、平清盛に命じて建立させた持仏堂です。別名・頭痛山平癒寺といいます。 1001体の観音立像があり、運慶又はその息子・湛慶を主に70余名の仏師 により作られました。 |
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首途八幡宮(かどではちまんぐう) 源氏の再興を思った遮那王(義経)は 密かに鞍馬山を出て金売り商人の吉次 に伴われて奥州平泉に向かった。 「1174年3月3日、義経16歳」 西陣にある首途八幡宮で道中の安全 を祈願したとされる。 |
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