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京都の龍馬伝コース(坂本龍馬をたどって)


龍馬伝コースの絵地図6時間龍馬のイラスト

寺田屋 田屋
俗に言う、寺田屋騒動幕末の時、龍馬が襲われ
た事とは全く別個の話です。
1866年1月23日、龍馬は寺田屋において伏見奉
行の林肥後守の配下の襲撃をうけた。その時風呂
に入っていたお龍が気付き裸のまま急を知らせに
龍馬の部屋に駆け込んだ。その時、龍馬は落ち着
いて『お龍前の物を始末せい』と言ったと言います
そして高杉晋作からもらった上海土産のピストルで
応戦し逃れました。
坂本龍馬と中岡慎太郎の墓 坂本龍馬の墓
東山・高台寺の南を霊山といいます。
その中腹に坂本龍馬と中岡慎太郎を中心に
三千余りの官軍の方が眠っています。
参拝のおりは、護国神社に入口が有ります。

坂本龍馬と中岡慎太郎の像 坂本龍馬の像
円山公園に坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像が有り
ます。二代目の像で初代は、第二次世界大戦の時
持って行かれ鉄砲の弾に変ってしまったそうです。
像は遠く“御所”遙拝しています。
霊山資料館 霊山記念館
幕末から明治維新にかけての記念館です。
近江屋で“龍馬”が殺された時に使われた
42センチの小刀が飾って有ります。
明治維新に興味の有る方は“必見”です。
近江屋坂本龍馬の碑 近江屋龍馬の碑
現在はサークルKですが近江屋跡に龍馬遭難の碑
が有ります。1867年に大政奉還が有り、、その後
常宿の酢屋を離れ、河原町蛸薬師に有った近江屋
の奥座敷に隠れ住んでいたが、尋ねて来た中岡慎
太朗とシャモ鍋を食べていた所を襲われたそうです。
龍馬は、三太刀受け即死だったそうです。
池田屋跡の碑 池田屋跡の碑
池田屋は三条小橋の橋詰めに有った旅館です。
1864年7月8日、新撰組・近藤勇一派が潜伏して
いた長州藩、土佐藩などの尊王攘夷派を襲撃した
所です。現在は“海鮮茶屋・はなの舞”が有ります。
佐久間象山遭難の地 佐久間象山遭難の地
信州松代藩出身の佐久間象山の塾からは
勝海舟、吉田松陰、坂本龍馬らを輩出しました。
1864年に上洛し開国論を唱えて公武合体に勤め
たため、同年7月11日に刺客により斬殺された
所です。
酢屋 酢屋
龍馬が住んでいた所です。
初代・酢屋喜兵衛から現在10代目の酢屋喜兵衛
さんまで280年余り続く材木商です。
龍馬はここを海援隊の京都本部にしていた様です。
龍馬は二階表西側の部屋に住んでいたそうです。
土佐稲荷 土佐稲荷(土佐藩邸跡)
土佐藩京屋敷内に有った神社です。
現在は、火除・厄除・大成成就・縁結びの神として
町衆の信仰を集めています。
壬生寺・近藤勇の像 壬生寺・近藤勇の像
龍馬と敵対していた新撰組の局長・近藤勇の像が
壬生寺に有ります。
傍らには芹沢鴨の墓も有ります。
お参りの折には新撰組の歌を聞いて手を合せると
臨場感一杯です。100円要りますが・。
八木邸 八木邸
壬生寺の北に有る八木邸。新撰組の屯所に使った
所です。1000円(お抹茶付)で語りべさんが
邸内を案内、説明してくれます。
島原角屋 島原角屋
壬生寺と五条通りを挟んだ南側に廓『島原』が有り
ます。お茶屋・角屋が現存していて新撰組が付けた
刀傷が残っています。付けで遊べなくなった若い
隊士が怒って付けた傷と言います。

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